空回る私と先生。暗黒の高校生時代(4)

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私はどうすればいいか分からなくて、色々と試したように思います。

どれも裏目に出ました。

今考えると正気の沙汰ではないのですが、当時の私は恐らく、少しばかり狂っていたのでしょう。

おかげでクラスメイトとの距離は開くばかり。

クラスメイト全員の名前を覚えたのは、たしか卒業する間近だったような気がします。

今はもう、思い出せません。思い出そうとも思いません。

思い出すと芋づる式に当時の記憶が蘇って、辛いので。


担任の先生は熱血タイプで、できる限りのことはしようと頑張っていました。

ただ、私と同じで、空回りしていました。

歯車が噛み合わず1つだけ回っているように、先生が頑張っても、状況は改善しませんでした。


私は幼少期から発達障害を疑われていましたが、知能はあるので、医師もはっきりとした決断はできないでいた……と、母親は言っていました。

学校の先生が言うには「診断があれば何かしらできるかも」とのことだったので、グレーゾーンではありましたが、病院に通って診断書をもらいました。

そのカミングアウトもクラス全体に向けてすることになったのですが……

そのタイミングが、これまた最悪だったのです。


先生がその事について切り出してきたのは、みんなが長期休暇で実家に帰る直前のこと。

これから電車に乗らないといけなくて、時間を気にしてピリピリしている生徒もいる中のこと。

そんな時に話して、どうなるというのでしょうか。

はたして、「あいつのせいで変な話が追加された。マジむかつく」以外の感想が出てくるでしょうか。

そして学校に帰ってきた時に、そのことを覚えているクラスメイトは、どれほどいたのでしょうか。


実際、何も改善されませんでした。

診断をとっても、サポートが加わることもなく。

カウンセリングの先生に話しても、何かが変わるわけもなく。


申し訳程度に何かがあったようにも思いますが、十分なものではありませんでした。

小さな村の高校ですし、たった1人の生徒にそこまで手間はかけていられないのも分かります。

大多数は問題なく暮らしているのですから。


最後の文化祭あたりだったと記憶していますが、私はとうとう、学校に行かなくなりました。

個人的には、そこまでよく頑張ったと思います。

学校に行かないと決めた時には、高校を中退した場合のリスクや夜間の高校について、スマホで検索したりしていました。

そうそう。私が自分のスマートフォンを持ったのは、3年生になってからです。

自分の携帯機器でインターネット接続することを許されたのも、3年生になってからです。

もう少し早く、外には色んな人と世界があるんだと知っていたら、ここまで病むこともなかったかもしれません。

そういう意味では、いま中学・高校生のお子さんには、ぜひスマートフォンを持ってもらいたいと思います。


話がそれてしまいましたが……

私は結局中退することなく、学校を卒業しました。

出席日数も足りなめだったので、学校にはなんとか行っていたと思います。

本当は行きたくなかったですが、担任の先生が寮に来て「学校に来てくれ」と泣くのです。

他人の泣き顔を見る事はあまりなかったので、この時はかなり驚きました。

自分より何歳も年上の大人に頭を下げられて泣かれて驚かない高校生は、相当肝がすわっているか過去に何かあった人だと思いますが……。


今だったらそれでも「嫌です。行きません。」と突っぱねることもできたと思いますが、当時の私にはできませんでした。

正直に言わせてもらうと、先生、泣き落としは卑怯です。


文化祭の日も行きたくありませんでしたが、この日は別の先生が、私を説得しに現れました。

この先生は厳しいことで有名で、私はだいぶ警戒しつつ応対していたのですが、この先生は担任のように泣き落としをすることもなく、淡々と話をしてくれた記憶があります。

この日なぜ学校に行くことにしたのかは、よく覚えています。先生に急用ができて、学校に行く必要ができたからです。

先生は「学校には行くけど、今生徒の対応中だし」と少し困っているように見えたので、「先生に迷惑をかけてはいけない」と思って行くことにしました。

案の定、楽しくはありませんでしたが。

ちなみに急用の内容は、工芸を教えていた優しい先生が、入院先の病院で亡くなったというものでした。


卒業式には、仕方ないので行きました。涙は出ませんでした。

私にとっての学校生活は、最後まで重くて苦しくて辛いものでした。





当時のクラスメイトが、もしこの投稿を読んでいるのなら、コメントで教えてほしいです。

私はどうすればよかったのでしょうか。あなたはどう思っていたのでしょうか。

今、彼女らはどうしているのでしょうか。何が正解だったのでしょうか。


あの高校生活は、トラウマです。

もし今の記憶を持ったまま人生をやり直せるなら、私は地元の高校を選びます。

トラウマは卒業後も、3年間しっかり私を苦しめました。だいぶ良くなりましたが、今も少しばかり引きずっています。

私はあの高校で美術工芸の基礎を学び、そして大切なものを失くしてしまったように思います。


辛くて怖くて悲しくて、痛かったです。

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明日は色々とまとめます。




人外イラストレーター、ココナのブログ

フリーイラストレーター、ココナのブログです。 赤裸々にいろんなことを書いていくブログ。 なんかもう、色々と撒き散らします。

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